前回の補足です。
「ねばならない」には、環境から強制されるものと、自分で強制するものの2種類があります。
前者は、親としての義務、子としての義務、職業人としての義務、日本人としての義務など、立場が変われば内容も変わるものです。
後者は、使命感から来るものです。
「弱き人を助けることは、強く生まれたものの責務です。」は、煉獄杏寿郎の母の言葉です。
このように、親、教師、読んだ本、体験などから自分で自分を縛る「ねばならない」があります。
どちらも、放棄することは可能です。
何年か前、毎年のように日本の総理大臣が交代したことがありました。
首相という国のトップですら、いくらでも代わりがいるのです。
あなたが自らの責任を放棄したところで、その代わりの人は、いくらでも現れます。
ですから、安心して、自分を苦しめている「ねばならない」を放棄してください。
これは、優しい人には、難しいことかもしれませんね。
しかし、考えてみてください。
幸せは、誰かの犠牲の上に成り立つものではありません。
あなたが犠牲になって、誰かのために尽くしても、相手の本当の幸せにはなりません。
いっときの「楽」を与えているだけです。
義務感からではなく、助けてあげたい、幸せにしてあげたい、尽くしてあげたいとの心からの行為なら、相手もあなたも本当の幸せを手に入れられます。
「ねばならない」の気持ちを「してあげたい」に変える工夫をしても、良いでしょう。
無理のない範囲で。
風の時代ですから、歯を食いしばる努力は無用です。