私たちの魂は、神様の分魂です。
私たちは、皆、神様だと言えます。
ですから、自分自身を大切にしなければなりません。
他人の幸せのために自分を犠牲にしないでください。
ただし、「犠牲」というのは、あくまでも主観です。
例えば、幼い我が子が熱を出した時、寝ずに看病する場合。
親は、子供の犠牲になっているとは感じないでしょう。
もっと深刻なケースとして、子供のために自分の腎臓を移植するような時でも、犠牲になるとは微塵も感じないでしょう。
逆に、欠勤した人の分の仕事を押し付けられたら、それが1時間で終わったとしても、犠牲になったと感るのではありませんか。
子供の看病はできても、配偶者の親の介護は、犠牲になっていると感じるかもしれません。
その両方とも喜びと感じる人も、いるかもしれません。
主観の問題ですから、他人のことは、とやかく言わない方が無難です。
それはともかくとして、「犠牲になっている」と感じることは、どんどん切り捨てていきましょう。
犠牲になっていると感じるのは、御魂が苦しんでいる証拠です。
磨かれているのではなく、苦しんでいるのです。
やめずに続けているのは、神様を痛めつけているのと同じです。
神前に向かって石を投げつけたり、しないでしょう。
自分に対しても、してはいけません。
我慢の先に幸せはありません。
御魂を喜ばすことに、専念しましょう。
それは、ワクワクする行動です。
どんどん新しいことにチャレンジして、ワクワクを探してください。