好きな人がいれば嫌いな人もいるのが、当たり前です。
他人は鏡だと言われます。
嫌いな人とは、自分自身の嫌いな点をその人に写している存在だということです。
相手の嫌いな部分は、実は、自分が持っていて赦していない点、というわけです。
自分が欠点だと思っている部分を受け入れて、自分を完全に赦せば嫌いな人はいなくなるのですが、難しいですね。
それこそ、修行が要ります。
自分も他人も、「赦しましょう」と言われても、簡単には赦せません。
自分の大切な人の為に人形を書くことは、なんの抵抗もないでしょう。
しかし、嫌いな人の為に書くのは、形だけならできますが、真心はこもりません。
あなたは、嫌いな人の幸せを心から祈ることができますか。
できないでしょう。
まして、嫌いな人の為に人形を代筆し、さらに御玉串までするなんて。
形だけならできますが、損した氣分が残るでしょう。
私はそうでした。
私は聖人君子ではありませんから、私に仇為した人の幸せを心から祈るのは不可能です。
かつて、何度か人形を書いてあげたこともありましたが、今は、していません。
その分の労力や御玉串は、大切な人の為に使います。
あなたは、嫌いな人の為に人形を書くことができますか。